仕事山行・八丈島は寒かった
2012/03/23 Fri Filed in: 登山など戸外遊び
船中1泊、キャンプ2泊で八丈島へ仕事で行ってきた。私自身は3度目の八丈島。
竹芝桟橋を22時20分に出航する客船「さるびあ丸」に乗船、二等船室のカーペットでひたすら寝たら、朝9時過ぎに八丈島底土港に着く。砂浜はなく、岩礁帯に囲まれている八丈島の海は常に風が吹いており、沖には白波が立っている。それでもまだおとなしい方だ。外海に面し、断崖の続く八丈島や青ケ島でカヤックをやるのは無理である。伊豆七島でやれるとすれば、式根島・新島・神津島あたりだが、ここだって砂浜はほとんどなく、あってもサーフポイントばかりである。マリンスポーツはシュノーケリング、ダイビングという島。
初日は船酔いが抜けない若人もおり、登山はせず島内探索。5年前の春にも来たのだが、今回はレンタサイクルを調達して八丈富士を回る海岸沿いの道路をぐるっと回ってみた。島の北半分を回るルートはざっと22km。寄り道もしたので25km以上は走ったと思う。借りた自転車は6段変速がついたママチャリだが、6速のうちロー側4速までしか使えなかった。海岸沿いとはいえ、ママチャリには厳しいアップダウンが延々と続き、自転車を押して坂を登ることもあった。八丈に来る客船にはロードレーサーを積んできた人もいた。あれだったら楽しくサイクリングできそうなのだが、サイクリング中に彼らに遭遇することはなかった。
![P3200028](p3200028.jpg)
緩くてもママチャリ泣かせの道
![P3200030](p3200030.jpg)
八丈小島と相棒(サドルを思いっきり上げたのは言うまでもないが、空気圧が・・)
八丈小島を右手に見つつ、島の西側の八重根港まで走り、大賀郷の集落の中で「明日葉うどん」を食べて昼食とする。八丈のグルメは島寿司(づけの寿司を和辛子醤油で食べる)か、明日葉を用いた料理だ。以後島を出るまで貧弱な食事になる。
八丈島ではフリージア祭りをやっていたが、実はフリージアがほとんど開花していない状況。今年はそれだけ寒い冬だったと言うことか。少しは観光も、と思い直し、以前立ち寄ったことがある歴史民俗資料館と島の古民家を開放した「ふるさと村」へ寄ってみる。資料館は初めて八丈を訪れた時(10年以上前)とまったく変化なく、少しは変化と工夫をしてもらいたいと思う。ふるさと村ではおばさんにお茶をいただく。
夕方から北西風が強くなり、テント内でもかなり寒い思いをした。シュラフカバーを持たず三季用のダウンシュラフだけだったので、着込んで寝たのだが寒くて夜中に何度か起きた。管理が行き届いているのにサイト代無料の底土キャンプ場には、ワンポールの三角テントで寝泊まりしている父子がいたのだが、あれだと下からすきま風がすごいだろうなあと思う。後でわかったことだが、お父さんはさる山小屋の管理人の方だった。それを聞いて納得。
翌日朝も北西風強く、時折テントがひしゃげるくらいである。天気はいいので、三原山へ登山に行く。八丈島の北部には標高850mほどの八丈富士、南部には標高700mの三原山がある。登山自体はほとんど電波塔管理のための舗装道路で、ほんの一部が階段状の登山道なので、まったくワイルドさはない。山頂は案の定強風で、手がかじかんでくる。そそくさと下山する。下山途中に唐滝という滝に立ち寄り、樫立という集落で温泉(入浴料300円)に入って、キャンプ場に戻った。下山したら風が弱まった。この夜も冷え込んだ。出発時に読み始めた、「原発と権力」(山岡淳一郎著・ちくま新書)を読了。つづいて「吉原御免状」(隆慶一郎著)を再読。
![P3210033](p3210033.jpg)
唐滝。落水量が少ないので、強風で水が巻き上げられている。
最終日、やっと春らしくなってきた。だが翌日からは雨の予報である。隣のワンポールテントの父子も島を離れるようだ。9時40分に出航が早まった「さるびあ丸」に乗船。沖に出ると往路よりも激しく揺れる。ローリングとピッチングが複雑に絡み合い、再後端の船底にある二等船室の揺れは激しかった。みなカーペットにへばりつく。昼まで御蔵島には到着しないので、寝る。お昼に起きて八丈のパン屋で買ってきたパンを噛り、読書。船内のテレビではBSだけが受信できる状況なので、大相撲春場所の中継を三段目から観戦。しかし、16時でBS放送は終了し、地上波になると言う。船は新島から大島へ北上中で、地上波は受信できない。
![P3220035](p3220035.jpg)
さようなら、八丈島
そこで揺れまくる船の最上部デッキに出て、携帯ラジオで十両以降の中継を聴く。誰もデッキには出てきていない。船の船尾をみていると、盛んに当て舵しているのがわかる。風と波浪が強い。うねり2m〜3mといったところか。カヤックだったら確実に沈&漂流&死に至るような海況である。海は恐ろしい。
だが、大島を通過して房総の洲崎から勝浦にかけての海岸線が見えてきたら、急に波がおさまってきた。東京湾って、ありがたい。やがて三浦半島もしっかり見えるようになり、いつもカヤックで漕いでいる海岸線がしっかりと見えてくると、船は12ノット以下に速度を落とし、湾内航行して竹芝桟橋に到着。若人の中には船内で5度も吐いたという者もいた。
竹芝桟橋を22時20分に出航する客船「さるびあ丸」に乗船、二等船室のカーペットでひたすら寝たら、朝9時過ぎに八丈島底土港に着く。砂浜はなく、岩礁帯に囲まれている八丈島の海は常に風が吹いており、沖には白波が立っている。それでもまだおとなしい方だ。外海に面し、断崖の続く八丈島や青ケ島でカヤックをやるのは無理である。伊豆七島でやれるとすれば、式根島・新島・神津島あたりだが、ここだって砂浜はほとんどなく、あってもサーフポイントばかりである。マリンスポーツはシュノーケリング、ダイビングという島。
初日は船酔いが抜けない若人もおり、登山はせず島内探索。5年前の春にも来たのだが、今回はレンタサイクルを調達して八丈富士を回る海岸沿いの道路をぐるっと回ってみた。島の北半分を回るルートはざっと22km。寄り道もしたので25km以上は走ったと思う。借りた自転車は6段変速がついたママチャリだが、6速のうちロー側4速までしか使えなかった。海岸沿いとはいえ、ママチャリには厳しいアップダウンが延々と続き、自転車を押して坂を登ることもあった。八丈に来る客船にはロードレーサーを積んできた人もいた。あれだったら楽しくサイクリングできそうなのだが、サイクリング中に彼らに遭遇することはなかった。
![P3200028](p3200028.jpg)
緩くてもママチャリ泣かせの道
![P3200030](p3200030.jpg)
八丈小島と相棒(サドルを思いっきり上げたのは言うまでもないが、空気圧が・・)
八丈小島を右手に見つつ、島の西側の八重根港まで走り、大賀郷の集落の中で「明日葉うどん」を食べて昼食とする。八丈のグルメは島寿司(づけの寿司を和辛子醤油で食べる)か、明日葉を用いた料理だ。以後島を出るまで貧弱な食事になる。
八丈島ではフリージア祭りをやっていたが、実はフリージアがほとんど開花していない状況。今年はそれだけ寒い冬だったと言うことか。少しは観光も、と思い直し、以前立ち寄ったことがある歴史民俗資料館と島の古民家を開放した「ふるさと村」へ寄ってみる。資料館は初めて八丈を訪れた時(10年以上前)とまったく変化なく、少しは変化と工夫をしてもらいたいと思う。ふるさと村ではおばさんにお茶をいただく。
夕方から北西風が強くなり、テント内でもかなり寒い思いをした。シュラフカバーを持たず三季用のダウンシュラフだけだったので、着込んで寝たのだが寒くて夜中に何度か起きた。管理が行き届いているのにサイト代無料の底土キャンプ場には、ワンポールの三角テントで寝泊まりしている父子がいたのだが、あれだと下からすきま風がすごいだろうなあと思う。後でわかったことだが、お父さんはさる山小屋の管理人の方だった。それを聞いて納得。
翌日朝も北西風強く、時折テントがひしゃげるくらいである。天気はいいので、三原山へ登山に行く。八丈島の北部には標高850mほどの八丈富士、南部には標高700mの三原山がある。登山自体はほとんど電波塔管理のための舗装道路で、ほんの一部が階段状の登山道なので、まったくワイルドさはない。山頂は案の定強風で、手がかじかんでくる。そそくさと下山する。下山途中に唐滝という滝に立ち寄り、樫立という集落で温泉(入浴料300円)に入って、キャンプ場に戻った。下山したら風が弱まった。この夜も冷え込んだ。出発時に読み始めた、「原発と権力」(山岡淳一郎著・ちくま新書)を読了。つづいて「吉原御免状」(隆慶一郎著)を再読。
![P3210033](p3210033.jpg)
唐滝。落水量が少ないので、強風で水が巻き上げられている。
最終日、やっと春らしくなってきた。だが翌日からは雨の予報である。隣のワンポールテントの父子も島を離れるようだ。9時40分に出航が早まった「さるびあ丸」に乗船。沖に出ると往路よりも激しく揺れる。ローリングとピッチングが複雑に絡み合い、再後端の船底にある二等船室の揺れは激しかった。みなカーペットにへばりつく。昼まで御蔵島には到着しないので、寝る。お昼に起きて八丈のパン屋で買ってきたパンを噛り、読書。船内のテレビではBSだけが受信できる状況なので、大相撲春場所の中継を三段目から観戦。しかし、16時でBS放送は終了し、地上波になると言う。船は新島から大島へ北上中で、地上波は受信できない。
![P3220035](p3220035.jpg)
さようなら、八丈島
そこで揺れまくる船の最上部デッキに出て、携帯ラジオで十両以降の中継を聴く。誰もデッキには出てきていない。船の船尾をみていると、盛んに当て舵しているのがわかる。風と波浪が強い。うねり2m〜3mといったところか。カヤックだったら確実に沈&漂流&死に至るような海況である。海は恐ろしい。
だが、大島を通過して房総の洲崎から勝浦にかけての海岸線が見えてきたら、急に波がおさまってきた。東京湾って、ありがたい。やがて三浦半島もしっかり見えるようになり、いつもカヤックで漕いでいる海岸線がしっかりと見えてくると、船は12ノット以下に速度を落とし、湾内航行して竹芝桟橋に到着。若人の中には船内で5度も吐いたという者もいた。